Gyotoku matsuri 2016 - 行徳まつり2016-

神輿の所以と行徳まつりの誕生

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【神輿の所以と行徳まつりの誕生】

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『五ヶ町例大祭宮入り』

行徳は戦国時代から、幕府直轄の塩田地域として有名で、特に徳川幕府時代では、戦に必要といわれる「米・水・塩」の内、塩の精製の為に、開発費と運営費がおり、今で言う特区としての補助金が莫大に落ちたと言われております。

塩産業を軸に、行徳は古くから海苔や魚介類に代表されるように、江戸時代から漁業・農業が栄えた土地だけでなく、成田街道の入口として、人や物の交流か盛んとなり、宿場まち・港まちとして栄えた地域でした。

よって地元の人々は、自然の恩恵を敬い、森羅万象の中に神仏が宿ると、信心深かったようです。それ故に、神社やお寺を建造するために惜しみないお布施を出し、全国にも類を見ない、神社仏閣のまちとして今もなお、その伝統的芸術を世に送りだしております。

その匠と技を活かして、行徳には伝統的な宮大工の真髄が生成され、その技術の集約と象徴として、神輿づくりが盛んになり、全国にも類を見ない神輿の発祥の地として有名になりました。

神輿のおいては、実に全国の4割が行徳の神輿といわれておりますが、意外や地元の人々に知られていないのが現状です。
※行徳の職人が全国の6~7割の神輿に関わっているとの一節も・・

特に近郊では、浅草「三社祭り」、鳥越「鳥越祭り」、神田「神田祭り」、佃「佃祭り」、深川「深川祭り」、浦安「三社祭り」等々、有名なまつりの随所に、行徳の神輿が存在しております。

行徳を代表する神輿屋は、後藤・浅子・中台が御三家ですが、現存するのは中台神輿製作所だけで、その貴重な伝統芸術を後世まで残そうと孤軍奮闘しております。

今や行徳の繁栄も豊な漁場や秋の収穫という一次産業から、今では首都圏のベットタウンとして、サービス産業に移管され、その神社仏閣のまちを支える姿もかわりつつあります。
そのような環境の変革の中で、これからも行徳が団結し、より繁栄することを願い「行徳まつり」が2004年に誕生しました。開催中止の年もありましたが、今年で第12回目を迎えます。

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